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自由できままな風のひとり言
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生き方探求人間学誌「致知」2003.1月号抜粋
http://members.at.infoseek.co.jp/mooa/kobayashiseikan.html

いくつもの神秘的な体験を経て、長年宇宙に潜む法則を

研究してきた小林正観氏は、「ありがとう」の5文字に数ある中でも

最高の波動があることを知る。

ありがとう、ありがとうと繰り返し口にしていると、

健康はおろか運命までも変化させるという法則を発見し実証。

「ありがとう」の5文字に秘められた不思議な力

ここに、どのような時も「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と

繰り返し唱えている人がいるとします。

するとその人は、言葉の波動を受けて体内の水や血液が再生し健康体にな
ります。

精神も豊かになり、人間関係も円滑になってきます。

そして「ありがとう」の数がある一定の数を超えた場合、

奇跡としか言いようのない現象となってその人に降りそそぎます。

「ありがとう」を宇宙に発し続けていれば「ありがとう」と

言わざるを得ない現象が次々に招き寄せてくれるのです。

私は宗教者でもなければ、いかなる宗教団体に所属したこともありません。

むしろ逆に、若い頃は学生運動に明け暮れていた、唯物論者でしたし、今

もです。

30年来超常現象や人間の潜在能力に関心を抱き、

その因果関係を研究してきました。

私自身、偶然とは考えられないいくつもの神秘的な出来事にも多く遭遇し

その結果宇宙にはある種の方程式があることがわかりました。

でも私は唯物論者です。むやみに神仏を信じたり、すがるようなことはし

ません。

一つの現象が仮定された場合、何度も実証を重ねて客観的な事実として

確認する、という作業を繰り返して宇宙法則にたどり着きました。


発する言葉が健康を左右する

二つのペットボトルを用意し、一つには「ありがとう」、もうひとつには

「ばかやろう」と書いて東京との水道水を入れます。

一晩置いた水を凍らせて結晶を撮影すると、「ありがとう」と書いた

水道水だけに、宝石のような美しい結晶ができるのです。

一方の「ばかやろう」と書かれたほうは、かわいそうなくらいに

無残に変形します。

色々な水を使って実験を繰り返しましたが、結果は一緒でした。

人間の体は70%が水でできています。

だとすれば「ありがとう」の言葉を沢山投げかければ、

この実験と同じように体内の血液や体液も変わり、健康を維持できるので

はないか。

私はそのように仮定し、実証ししてきました。

「ありがとう」を唱え続けたがん患者からがん細胞が消えたり、

医者から失明を宣告された人からいつの間にか目の病が癒えていたり、

手術が必要と言われていた子供さんの心臓の穴が塞がったり、

各地で信じられないような奇跡が次々と起きたのです。

ある公演会場での話しです。

末期がんと診断された人が、会場の前に出て

「私は生き延びたいからありがとうの声をかけてほしい。」と全員に呼び

かけました。

そこで会場に集まった200人が1分間100回、

その人に合計2万回のありがとうを浴びせました。

ありがとうを言うみんなの目からは涙が溢れ、会場は何とも言えない

暖かい雰囲気に包まれました。

そして3日後の精密検査でその人の体からがん細胞が消えた、という報告

がきました。

予期せぬ幸せがどんどん舞い降りる

さて、2001年9月8日に届いた情報の中身です。

メッセージによると「ありがとうを数多く唱えると奇跡が起きる」という

のです。

具体的には「ありがとうを年齢×1万回唱えると第一段階の奇跡が起きる。

望んでいたことが実現する」という内容でした。

私は5年ほど前から「ありがとうを言っていたら、何かいいことが起こり

そうだ」と

気づいて仲間に話していたのですが、2001年になってその数が

80万回、100万回に達する人が出てきました。

するとその人たちの間で、絶対に合格不可能な大学に入学出来たり、

難病が治ったり、色々奇跡が起き始めたのです。

さらにその次のステップとして年齢×2万回のありがとうで第2段階の奇跡、

年齢×3万回で第3段階の奇跡が起きるというメッセージが届いています。

第2段階の奇跡とはある人がありがとうを唱えることで、

その家族や友人が考えてもいなかった現象を手に入れること。

第3の奇跡になると、本人も家族も友人も誰も念じたことも考えも

しなかった現象が勝手にどんどん降ってくるのだそうです。

2000年、私はアメリカの大学の心理学博士号を取得しました。

私は何も知らなかったのですが、私の本の内容がかなり良いというので

私に博士号を贈ると決めていただいたようです。

思いもかけぬ事件でした。

奇しくも確認証が発行された11月9日は私の20世紀最後、

52歳の誕生日でしたので、向こうから「こういう偶然が本当にあるのか」と

電話してきたほどでした。

そして実はこの時、私の「ありがとう」の回数が年齢(52歳)の

3万倍を超え160万回に達していたのです。

損得勘定で生きる人は怒らない

私は宇宙法則の研究家ですが、方程式そのものには関心があっても

「なぜそうなるのか」という部分には興味はありません。

法則に則ると確かに信じられないようなことが起きます。

それが面白くてこれまで研究を続けてきました。

しかしそれは宗教でいう信じる信じないというレベルの話ではありません。

実際にやってみれば誰もが結果を出せます。

言葉の力を「言霊」として説明しない理由もそれです。

だから私の話は人格論や精神論ではありません。

私は正しい生きかたをしようとか、立派な人になりましょうといった話は

好きではないし、他人にそういうことを説くことはしないようにしています。

他人がどういう生き方をしようと私には関係ないと考えているからです。

誤解を恐れずに言えば私の価値基準は1つ、損得勘定です。

つまり自分にとって得なことはやるけれども、損なことはやらないという

それだけです。

これはほかのどの先生とも違うところかもしれません。

おもしろいことに、損得勘定が完全に頭に入ってしまうと、

人間は声を荒げなくなります。 イライラしなくなります。

声を荒げイライラした結果、人間は自分で毒液を出して、

その毒液が五臓六腑をどんどん痛めつけます。

誰が一番損をするかというと、その言葉を発した本人ということになります。

こういう実験があります。

一升瓶に普通の心理状態で息を吹き込み、そこにハエを入れると

40分位で窒息死します。

ところが激怒した状態で同じ実験をすると中のハエは3分位で死んでしまいます。

毒死です。

人間が怒った時は自分で気づかないだけで毒気を吐いているのです。

私たちは体調が悪い時、よく愚痴や泣き言を言いがちです。

本人は病気ゆえに愚痴をこぼしているように思っているでしょうが、

実は不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句(私はこれらを五戒と呼んでいます)

という否定的な感情が肉体を蝕んでいるらしいのです。

私と親しいある外科医の話ですが患者の家庭環境を分析した結果、

怒鳴りあっている環境で生活している人と、穏やかな言葉が飛び交う

家庭で生活している人とでは、明らかに前者のほうが病気になる確率が高

いと いうことが分かったと言います。

宇宙の方程式からすれば先ほどの実験のように「ばかやろう」「つら

い」「悲しい」といったネガティブな言葉が体内の水の細胞を破壊し、

それが病気を招く原因となります。言葉の持つ力は大変なものです。

何よりも大事なのはっ笑って愉快に生活すること。

その為に私たちが発すべき言葉は うれしい、楽しい、幸せ、

愛してる、大好き、ありがとう、ついている、の7つ

(これを7福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。

そうすれば健康になるし、幸せになれるし、つまりは自分の人生に

大変得になるということになります。

「ありがとう」の言葉を体全体の細胞が記憶

これらの「祝福神」を、せっかくなら心で思うだけでなく

実際に声に出すとよいでしょう。

小声でもいいから声帯を震わせることで、その感触を

体全体の細胞が記憶するからです。

もうひとつ大切なことがあります。

宇宙の方程式からみて、ありがとうを繰り返し言っていると

いいことが起きるというお話をしました。

しかし心を込めなさい、とは言っていません。

心は込めなくていいというのが私の考えです。

これもほかの先生と大きく違う点です。

もちろん心を込めるにこしたことはありませんが、

込めなくても大きな効果が得られるところが「ありがとう」のすごいところです。

たとえば自分に意地悪をする姑に心からありがとうを言うことはなかなか

困難です。

でも心を込めなくてもいいと教わると気楽にできるでしょう。

姑というより宇宙に対してどんどんありがとうを発信するつもりでやればいい。

その結果、なぜか姑との関係は驚くほどよくなっていきます。

こういう実話は数多く報告されてきました。

ありがとうという言葉の振動は水蒸気に伝わります。

水蒸気は宇宙に充満していて切れ目がありません。

発した情報は水蒸気を通して直接相手の鼻から吸収されます。

唯物論的に言えば、その方に説明できるかもしれません。

自分の発した言葉が自分の人生をつくる

人間は自分の発した言葉で人生をつくります。

私の周囲の環境や自分が立たされた状況は

すべて自分の発した言葉によって形成されています。

ですから朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、愛してる、

大好き、ありがとう、ついてる、と言い続けると、

この言葉しかこの言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまいます。

私の回りの多くの人がそうなってしまいました。

私には最近、次のようなメッセージが届いています。

7つの「祝福人」を年間、5千回唱える人は、

その言葉を再び言いたくなるような現象が来年、5千回降ってくる。

逆に嫌だ、嫌だ、疲れたという否定的な恨み言葉を5千回発すると、

その言葉を言いたくなるような現象が、来年5千回降ってくる・・と。

もちろん5万回発すれば5万回、10万回発すれば10万回

降ってくるという意味です。

私は自分や仲間たちの身の回りに起こる現象を知れば知るほど、

このメッセージが正しいと納得せざるを得ません。

口先だけだったありがとうを何万回、何十万回と繰り返すうちに、

身の回りのありとあらゆることが本当にありがたいと思えるようになりました。

損得勘定でやってきたら、最後にはひとつのありがとうの言葉に

真心がこもるようになりました。

そして、いま本当に幸せを実感しています。

宇宙に大してありがとうの言葉を投げかけていると、

誰が一番豊かになり得をするのか。 それは自分です。

このことに改めて思いをめぐらせていただきたい。

宇宙の方程式はシンプルですが、やればやるほどその深さに驚くことでしょう。
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尊敬するからの日記より~☆☆☆☆☆

私が非常に衝撃を受けた言葉があります。

趙 昌仁 著「カシコギ」(サンマーク出版)という本にあった、

『あなたが虚しく過ごした今日という日は、きのう死んでいったものが

あれほど生きたいと願った あした』という言葉です。

ともすれば、毎日毎日の生きているすべてが、「惰性」と「慣れ」になっ

てしまい、何ごとも当たり前になってしまいがちです。

この当たり前が突然消えたらどうなるでしょうか?

明日という日がないならば、私たちの生き方はずいぶん変わってくると

思います。

きのう死んでいった人だけではなく、考え方によれば、私たちにとって、

今日という一日はかけがえのない一日なのです。


伊勢白山道氏は、人生を変える30の法則の一つとして、
次の言葉を上げています。

「アタリマエのことが 実はアタリマエでなく、ありがたいことと気づく」

以下、氏の著書「あなたにも『幸せの神様』がついている」(主婦と生活社)によります。

私たちも

「会社に行きたくない」

「家にうるさい女房がいる」

「おかずが少ない・・・・」

などなど、「すでにある」ことを「アタリマエ」の前提にしていると、

それへの感謝を忘れてしまいます。

会社も、奥様も、食事も、なくなるときには一瞬で消えるのです。

そもそも人間の苦悩とは、今生きていることを「アタリマエ」にしてし

まうと生じるようです。


どんな問題も、生死の観点から振り返ると、たいしたことではありません。

例えば、

夫が浮気をした→自分が明日死ぬとすれば、どうでもよいことです。

夫が暴言を吐く→それでも自分は生きている。生かされているだけで十分

と思えます。

生死の原点への感謝を持って今を振り返れば、すべてはありがいことばか

りです。悩んでいる時間がもったいないです。

                       (以上)


次はトルストイの言葉です。

★もし、君が死の前夜にあるとすると、きっと人をだましたり、嘘をつい

たり、非難したりしないだろう。死の前夜には、人を助けるとか、慰める

とか、人に愛情を示すとか、最も簡単で善良なことしかしないだろう。

★今すぐに、この世に別れを告げねばならないかのごとく、汝に残された

時間は思いがけぬ贈り物であるかのごとく生きよ。

★永遠に生きるごとく、そして夕方までの命かのように生きよ。永遠に生

きるがごとく働き、人に対しては、今すぐ死ぬかのごとく振る舞え。


次は、ドイツの作家リヒトの言葉です。

★人生は一冊の書物に似ている。馬鹿な人はそれをペラペラとめくってい

くが、賢い人は念入りに読む。なぜなら彼はただ一度しかそれを読むこと

ができないのを知っているから。


「一期一会」という言葉の由来について、加納真士氏「愛ダス・・・宇宙は

愛に満ちている」は次のように書いていました。

茶は、戦国時代、合戦時には野営の陣でも点てられた。

これから戦いに行く武将の殺伐とした心を抹茶でもてなすためだという。

「このお茶を飲んだ人はもう帰らないかもしれない」という思いが、送る

方も送られる方にも暗黙の内にあり、それがなお一層お茶を受ける中に緊

張とも永遠ともつかぬ時間を包含させたのである。

「一期一会」という、「この時をおいて他に逢う時なし」という言葉は、

そこから来ている。
                    (以上)

ありがとうございます。ご縁に感謝します。


郊外へ足を延ばせば、一面にれんげ畑がひろがっています。

ランドセルを背負ったまま、文字通りの道草でれんげ草で首飾りや冠を

作ったりして帰った小学校の頃が蘇ります。



街中にいると今では探さなければお目に掛る事ができないれんげ草。

 かわいいね。

 

ふきも緑の傘を広げ始めました。

甘露煮がとってもおいしいふき。



お水を汲んでいると、桜の木から来たのか毛虫さんがどんどん近寄って来

ます。う~ん、きみも一生懸命生きているんだよね。でもね、触れると

眠れないほどにかゆくなってしまうから、ごめんね。そっちへ行って!



毛虫は何を考えて前に進んでいるのでしょうね?

みんな自分の世界で一生懸命生きているのですよね。



小さなリンドウ?も顔を出して春を喜んでいるようなかわいらしさが・・

若葉もきれい!草花、虫さん達もみんな春の陽気に誘われて活動的。

人も車もライダーも増えました。

四季があるっていいですね。春は特にそれを感じます。

決してず~と冬のままでは無い。それは経済も世の中も個人の人生でも。

さぁ~て、今日はどんな出会いがあるのでしょう。

目の前の出会い(出愛)とご縁を大切に錦の糸を紡いでいきましょう。

ありがとうございます。

ご覧の光いっぱいのあなたへ全ての良きことが雪崩の如く起きます!


2か月ぶりのそして2度目の篠栗観音参りに行って来ました。



出だしから嬉しいハプニングがありました!いつもは迷う事のない先頭を

走る仲間が呼ばれていたのでしょうね。着いた先が神社。

大山津見神を御祭神としているひっそりとする中にも清らかな神社が

ありました。そばには桜の木がありひらひらと2枚残っていた花びらが舞

い落ちます。丁度氏子の方の一人が榊やお水替えをされにいらしていて

お話を伺う事ができました。



誰も参拝やお世話をしていなかった神社に、お子さんが小さく夜泣きをし

たりして困った事があるとお参りして気分を静めていらしたとか。

そんな中、お参りだけしてお世話しないのもと思い、自ら毎日水替えや

榊替えをなさっていらしたら、誰彼となくお参りしお神酒をあげたりと

自然とお参りする方が増えたと言うお話を聞き、心が温かくなりました。

無償の愛でひっそりと徳積みをなさってあるこの土地は水が清らかで、

空気も澄んでいましたね。近くに応仁天皇が道中腰かけられたという大き

な石も案内して頂きました。

 

今回は61番札所からスタートです。

大日如来の文字が大きく光っていました。

第61番札所「山王寺」(本尊大日如来)はとても清々しい番札所でした。

シャクナゲの花は咲き、しらさぎそうも水辺に美しく咲き、川からは蛙の

鳴き声が平和の時を告げていました。



この日はとてもラッキィーで、1年前の4月12日に篠栗観音参りを発案

された方が嫁ぎ先の群馬から、いらしていて手作りの大豆かりんとう(幸

せかりんとう)をみんなにお土産で作って来て下さっていて美味。

とっても人気のかりんとうは、ラブ運も上がるとか



それにみんなの分までお弁当を作って来て下さってるラブラブなご夫婦の

お弁当のご相伴にあずかりました。



ブルーシートを敷いて、みんなで円になってこの日のご縁が広がります。

笑いと感動の体験とカミングアウトなど、人のぬくもりと磨かれていく

魂の美しさを垣間見たようで、とっても充実した一日でした。

色んな体験や苦しい事も乗り越えたから底抜けに笑える笑顔があり、そし

てそれをみんなが受け入れてそれぞれが新たなエネルギーとしていく。



まぁ~あまりにも楽しくて(笑)この日は一つしか廻る事はできませんでし

たがそれでもそれ以上の大きな意味があったと思うしずくでした。

いつもご覧頂いて、感謝しています。

コメント、ご感想など大歓迎です。

あなたの全てに良きことが雪崩の如く起きます!


昨日もピンクのアクセサリーがキラリと光るステキなお客様がお買い物に

いらしゃいました。

800円で買ったんですよ。とおしゃったネックレスはとってもお似合い

で値段の3倍に見えます。ちょっとしたおしゃれで自分も相手にも、明る

さを与える事が出来んですよね。

☆~~~☆~~~☆

『命の絆』

Yさんは左手首に右手を添えて脈拍をはかるのが、毎日の習慣になってい

ます。その理由について「私は脈拍をはかると血液の中に、脈々と伝わる

母親の命を感じる事ができるのです」と語っていました。

さらに、「私の血液は母親から頂いた血液だと思っています。だから、

いつも母親と一緒だと思っています」と付け加えました。


Nさんは「入浴する時には自分のへそを見ます。そのたびに母を偲んでい

ます」と言っていました。そのへそがかつて自分と母親を繋いでいた命の

綱であったからです。

確かに臍の緒は、母親と胎児を繋ぐ命の絆でした。

へその緒を通して、栄養を母親の体から頂き、老廃物を戻しました。

昔から赤ちゃんのへその緒を桐の小箱に入れて大切に保管した風習も、う

なずけるというものです。

脈拍をはかったり、へそを見たりして、母親をしのび母親の恩を感じる事

は素晴らしい事ではないでしょうか。

そのたびに自分自身が常に母親と共に生きている重みを実感できます。


いつも絆を忘れないようにしましょう。
                  ㈱コミニケ出版「月刊朝礼」より
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HN:
鈴風
性別:
女性
職業:
ライトワーカー
趣味:
映画鑑賞・旅行・人間ウォッチィング
自己紹介:
英国オ-ラソ-マ社プラクティショナ- ブリッジ修了
チャクラバランスマサ-ジ レベルⅡ修了
整体療法師
レイキマスター
マルセイユタロットリーダー 国際タロット大学上級修了
アバンダンティアアバンダンスレイマスター
心理ゼミナール基礎コース修了
斉藤一人愛弟子
スピリチャルカウンセラー高津理絵公認 御心カウンセラー
舛岡はなゑ美開運メイクアップアカデミー公認アーティスト

雫のような小さな視点でものごとを書き連ねたブログです。こんな変わった人間が一人位いた方が世の中楽しいかも!?
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